ブログ

2016年09月09日

パラリンピック

私の父は身体障害者でした。
亡くなって20数年になります。若い頃津軽地方を流れている岩木川で泳いでいるのを見たこと有ります。今は遊泳禁止です。腕一歩麻痺していましたが屋根のペンキ塗り、あの高い屋根の上で怖くなかったのでしょうかね。自転車のパンク張り、昔の人はよく自分で直していたようですね。それ分自転車通学の私に自分の持ち物は大切にして磨くように教えてくれました。料理、掃除、洗濯は私の母より上手でした。母も認めています。特にラーメン、本格的なスープ作り。お客様が来ると母はラーメン作ってくれと言ってましたがそれがけんかの台になった事も有ります。なぜ俺が作らないといけないんだと言うのが言い分です。又子供好きで孫の子守までしてくれて、良く宿題をさせられたと子供達は話しています。我が家のパラリンピック選手でした。何でも良く出来る事は人生の中で楽しめるものを見つけていたのでしょう。亡き父の思い出より